福原霞外 スケッチ「別所沼」 定点観測

2020.10.29更新
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福原霞外《別所沼》1901年 鉛筆、紙 うらわ美術館蔵

福原霞外/1870(M3)-1912(M45)年
明治期に埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)の教諭として浦和に移り住んだ画家です。
画塾・不同舎に学びますが、若くして不治の病を患ったことから西欧留学をあきらめ、教育者として才覚を発揮しました。
図画教諭として教鞭を執りながら、東京で開かれる展覧会に作品を出品し続け、没するまでの約12年間を浦和で過ごしました。


福原霞外《別所沼》について
現在も浦和にある、別所沼の南側・志木街道の風景を描いた作品です。
霞外が洋画を学んだ東京の画塾・不同舎では、鉛筆による描画の基礎練習や風景写生を積極的に行っていました。
霞外は浦和に赴任した後も不同舎時代同様、風景写生を続けたようです。
この作品は、浦和に越してきた翌年に描かれました。
このような自宅周辺のスケッチは『浦和市史』の扉見返しや口絵などに掲載され、明治期の土地の様子を伝えています。
今の様子はこんな感じ。

霞外が描いてから100年以上経っているので、もう辿れないのではと思っていましたが、
道の形を頼りに場所を探すと、ちゃんと特定できてびっくりしました。
うらわ美術館から現場へのルート。
(1)旧中山道を南下
(2)県庁通りで右折し西へ
(3)国道17号線(中山道)を横切り
(4)鹿島台を右手に志木街道を別所沼方面へ進んだところ

自転車で10分くらいです。

YouTubeにも短い動画(1分46秒)をアップロードしています。
ぜひこの記事と併せてご覧ください♬

URLは次のとおり。

https://youtu.be/J0vXvhgeSwM?list=PLEjrqCDdS6zoTYGdpmUKxI-E9FBM_Pwz0
(1)旧中山道を南下しているときの様子

ここは江戸時代のメインストリート。
今も商店などが軒を連ね、人で賑わっています。
(2)県庁通りを西へ向かっている途中の様子

右に見える黄褐色のタイルが際立つ建物は、埼玉会館です。
日本のモダン建築の巨匠・前川國男が設計したユニークなつくりで、
半分が地下に埋まってる、ちょっとトリッキーな感じがカッコイイです(ここ、何階?!みたいな)。

中に入らなくとも、外壁の角にまあるくアールがつけられているところも見どころ。
とてもかわいくておススメポイント。
真正面に県庁が見えてきた!

埼玉会館辺りから、県庁前の坂下通りまでは下り坂。
坂下通りを横切ると県庁前は急勾配の上り坂!

鹿島台と呼ばれる台地の上まで一気に登ります。
県庁通りを目前に、ぐんっと道が曲がります。

さらに急な上り坂!
普通の自転車だったらひーひー言いながらペダルをこぐところ。
この日は電動自転車だったので大丈夫でした。

県庁の前がY字路みたいになっていて、変わった道なりだなぁと通るたびに思います。
この辺りは、昭和時代に浦和に暮らした画家たちが好んで写生に訪れた場所です。

起伏に富んだ坂道が織りなす街の風景を、鹿島台の台地上から浦和駅に向かって一望することができました。
気持ちの良い風景だったことでしょう。

今は中高層ビルが建っていて見通しが効かなくなっています。

画家たちが残した作品から当時の様子を知ることができますが、
それについてはまた別の機会にご紹介します。
志木街道に入りました。
鹿島台の台地上をしばらく進むと、次は沼地(別所沼)まで下り坂。

右手は埼玉大学付属中学校。
中学校の塀と道路の高低差を見ると、進行方向に向かってどんどん下り坂になっているのが伝わるでしょうか。

下り坂の先に別所沼があります。
到着。

作品を頼りにこの場所にたどり着きました。

道の形が大きく変わらず残っていることも驚きですが、
道の高低差や遠近感等、霞外の確かなデッサン力も改めて実感できました。
ダブルの意味で凄いな!と、この場所をみつけてハイテンションになりました。

(JM)