鹿島台下調べ

2020.06.13更新
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先日、「鹿島台」と呼ばれる地域を下見してきました。

鹿島台という地名は、現在の住所には残っていませんが、
通称として今も使われています。

なので、「ここから、ここまで!」という明確な区切りがありません。
うらわ美術館では、狭義の意味で、この地図のような区域をいうことが多いです。
いろいろ資料を見てみても、「○○町の北側」とかざっくり解説が多いです。

明治~昭和初期までじわじわと断続的に進められてきた区画整備や道路工事等の影響でも、その境界線はゆるゆると動いていました。

今まで調べたことをなんとなく地図に落とし込むと、広義にはこんな感じ。
今回、うらわ美術館収蔵作家に関連付けて下見をするため、このようなイメージで都合よく解釈しています。
ちょうど「うらびぃ」みたいな形。
(1)浦中記念碑
明治時代、旧制浦和中学校(現 県立浦和高校)が開校した場所。S12に隣駅の街に移転しましたが、今も県下有数の進学校として名を馳せています。

当館周辺は、芸術家が多く暮らした街です。
芸術家の中には、ここ「旧制浦中/浦高」の出身者も多く、数えれば両手でも足りません!
市役所通りを西に進み、さいたま市役所へ。
明治34年から昭和41年まで、ここには埼玉師範学校(現 埼玉大学教育学部)がありました。

(うらびぃを回収しようとしたら裏側の植え込みに転がり落ちてしまい、うらびぃもろとも枯れ葉まみれになりました。)
(2)埼玉師範記念碑
美術館周辺地域の歴史を調べると、行政機関や教育機関、その関連施設の移り変わりと切っても切れない関係にあるなぁと感じます。
いつか埼玉師範学校の校舎移転の歴史と美術の関係についても紹介できるよう、勉強します。
(3)鹿島台公園
この公園には「鹿島台」の地名が残っています。

その名のとおり、この地区は高低差の少ない台地上にあります。駅から徒歩15分程度の閑静な住宅街です。

大正期の浦和耕地整理事業により住宅地が整備され、T12年の関東大震災以降、芸術家たちが転居してきたという歴史があります。
この辺りは、真ーーーーっ直ぐの道が多いです。
きれいに区画整備された、美しい街並みです。
(4)鹿嶋神社
「カシマ」という名が残っている神社です。
鹿島台の名前の由来は不明で、この神社との関連性についても不詳のままです。
この神社や先ほどの鹿島台公園等、ところどころにその名称が残っています。
鹿島湯!
今回はここまで。
この鹿島台に暮らした浦和画家には、
小林真二や跡見泰、武内鶴之助、奥瀬英三、相馬其一等がいました。
鹿島台は関東大震災直後に注目を集めた、堅牢な台地上にある新興住宅地でした。
ある程度のキャリアを重ねた画家がアトリエを構えていたようです。(JM)