芸術の域に高めた装丁
大きな石蕗(つわぶき)の葉の間から、桜の花、青海波(せいがいは)、そして鳥や蝶が飛びかう様子が風景のように見える。よく見ると石蕗の葉が、その名前の由来どおり、艶を帯びていることに気付く。この艶は型引きで施された漆によるものだ。美術工芸品を思わせる表紙は、まるで美しい晴れ着のような佇まいで、観るものを魅了してやまない。見返しは、花菱(はなびし)草(そう)と蝶、蝉がアール・ヌーヴォー風に図案化され、読者を優しく誘っているかのようだ。そして、慎ましやかな木版による茶一色摺りの扉に迎えられ、読者は本文へと導かれるように入ってゆく。
表紙から扉に至るまで、素材、図案、色彩の細やかな配慮が行き届いており、装丁が一つの総合芸術であることをこの作品は物語っている。
この装丁は、近代装丁の先駆者とも称される橋口五葉(1881~1921)が手掛けた。夏目漱石(1867~1916)は、処女小説『吾輩ハ猫デアル』上編(1905)から、その著作本の装丁のほとんどを五葉に依頼しており、その数は17冊におよぶ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業したばかりの五葉に、処女出版の装丁を任せた漱石の鑑識眼はもとより、その期待に応えようと情熱をもって挑み、装丁を芸術の域に高めた五葉の資質は称賛に値する。
そして、「抗夫」、「野分(のわき)」という、漱石の作品の中では、比較的目立たない2作品を収めた小説集『草合』が、日本出版史において語られることが多いのは、この装丁の美しさによるだろう。
この装丁は、近代装丁の先駆者とも称される橋口五葉(1881~1921)が手掛けた。夏目漱石(1867~1916)は、処女小説『吾輩ハ猫デアル』上編(1905)から、その著作本の装丁のほとんどを五葉に依頼しており、その数は17冊におよぶ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業したばかりの五葉に、処女出版の装丁を任せた漱石の鑑識眼はもとより、その期待に応えようと情熱をもって挑み、装丁を芸術の域に高めた五葉の資質は称賛に値する。
そして、「抗夫」、「野分(のわき)」という、漱石の作品の中では、比較的目立たない2作品を収めた小説集『草合』が、日本出版史において語られることが多いのは、この装丁の美しさによるだろう。
(うらわ美術館学芸員 滝口明子)